ボクたちはみんな大人になれなかった

用事があって東京に深夜バスでやってきた朝に観た。原作の小説が販売されるとともにティザーが公開され「昔好きだった人をSNSで見つけてしまったことはありますか?」の文字に身震いしたのを思い出す。

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映画を通して話は過去に行ったり来たりを繰り返す。その描写は、生きていく中で昔のことを思い出す瞬間は様々で、思い出も端々であることを思い起こさせる。くるくる巻き戻されるテープのように過去を思い出しても、再生はできてもやり直しはできない。
わたしはオザケンは別に好きではないし、ごりごりの古着も着たことはないし、テロップを手で作っていた時代のことも知らない。それなのに怖いくらい共感性の高い映画で観終わったあとはドッと疲れが押し寄せた。

森山くんも沙莉ちゃんも大好きだけど、恋人たちに出ていた篠原さんが出てきて、それがめちゃくちゃうれしくてなんだか泣けた。東出くんが出ているのもよかった。
みんなそれぞれ、東京で、がんばって、演じるという仕事をしているんだよね。すごいなあ。

キリンジは好きだけど、やっぱりヒグチアイの東京にてがしっくり来る。あの子ともあの子ともあの子ともくぐった赤い提灯の下、神さま仏さま僕はちゃんと今この人を愛しています。これがすべてだなと思う。
花束みたいな恋をしたを観たとき、恋人にこんなふうに思い出すような人がいるんだとしたらちょっと嫌だなと思ったけど、この映画は、愛している人に、かつて愛した人がいたとしても、そのことを笑って話せたのなら、きっといいなと思える作品だった。
誰かに言われた言葉は心を突き刺さしたり優しくなでたりする。「キミはだいじょうぶだよ、おもしろいもん」それは縋ることのできる言葉でありながら、呪いのように消えないものでもある。

ボクたちはみんなだれよりも早く大人になりたがっていたのに、ボクたちはみんななりたい大人にはなれなかったし、ボクたちはみんな大人になんかなりたくなかった。そしていつまでたっても、ボクたちはみんな、大人にはなれずにいる。否、大人になってしまったのか。

ボクたちはみんな大人に_

このあとに続く言葉を考えるのが、大人を卒業するまでの人生の宿題。