9合5勺の先の話

富士山へ登った。
はじまりは去年の夏で、お盆に家族で集まった際にひょんなことからそんな話になり、もともと登山経験のある父と姉がわたしを誘ってくれたのだが、登山はまったくの未経験であるわたしは「富士山なんて見るものであって登るもんなんか?」という気持ちと「生きてるうちに一度はしたいことリストの中に入れてもいいかもな」という気持ちとがあって、しばらくの間悩んでいた。どうせ無理だなって思っていたし、そのときはきっと登らないつもりでいたのだと思う。

それで、あれよあれよと月日がたって、登頂予定日の1カ月前になる。ここまでいったい何をしてたんだ、って自分でも思うし、ほんとに登る気が毛頭なかったんだなとも思うが、ある日の夜に姉から「どうする?」と連絡があって考え直した。

 

わたし、たぶんここで誰かと登らないと、富士山なんて一生挑戦しないだろうな。生きてるうちに登れたら、なんて言いながら、生きてるうちに登れたらなんて思ってたな~なんて言いながら死ぬかもな、まあ別にいいか、もともとそんな強い気持ちなかったし。と、思いながら、仕事帰りアウトドア用品店に立ち寄り、登山靴をためしに履いてみた。


店員さんに促され、そろりと歩き出す。

 

軽かった、思っていたよりも。
もっと重々しく歩を進めるのだと思っていた。

それで、だった。登ろうと決めたのは。
この一歩がもっと重かったら、買わなかったかもしれない。その夜、登山靴を買ったよと父と姉に連絡すると、姉は喜んでいたし、父はもっと喜んでいた。

 

父との関係はわたしの人生の課題だった。
詳しいことは省くが、今でこそ仲のいい家族のように見える(し、たぶんそれで合っている)が、何年か前はうちの家にはつねに重々しい空気が漂っていた。家にいるのが嫌だったから、学校から帰ったらすぐに塾に行き、遅くまで残って勉強した。休日や塾のない日は図書館に行ったり、地域の自習室に通いつめた。
自分のことはあまり話さなかった。それは今でも変わらない。ただ、何を言っても否定されることが多かった家の中では、口を開かない方が賢明だった。

 

あなたがいなければ、と言われたことがある。

そんなこと、彼らは覚えてなどいないことは分かっている。本心でなかったことも、あの時期の家の雰囲気の悪さも、よく分かっていた。それでも、言われたことはずっとわたしの中に残り続け、たまに目を覚ましてわたしに呼びかける。わたしがいなければ、よかったのに、と。

遠い昔のことを、今さら話す気はない。その時期のことについて、あらためて何かを感じたり、嘆いたりはしない。

ただ、願掛けのようなものだった。

一緒に山を登れば、何か変わるかも。
家族とわたし、というか父とわたしを取り巻くぐにゃりとしたものが、何かいい方向になるんじゃないかと思った。

わたしの家族は、わたしたちのことが好きだ。
それはよく分かっている。だから、なんかこう、その愛を、ちゃんと受け入れられるようになりたかった。し、わたしなりの恩返しのようなものだった。
娘二人と登山、しかも富士山に登れたら、そんな、人生で素敵なことないよなと、わたしの父が思うなんてこと分かっていた。


移動は父と二人だった。
富士山のふもとの駐車場で仮眠をとるために向かう。コンビニで買ったビールで乾杯をする。

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まだ陽が明るくて、ふと顔をあげるとさっきまでは雲で隠れていた大きな山が姿を現してびっくりした。富士山だった。
こんなところにあったのか。
明日はこれに登ろうとしているなんて、正直未だに信じられない。
長野に住む姉は旦那さんの運転で移動して、夜中のうちに合流した。


夜の富士山の稜線には小屋の明かりや、ご来光を求めて登る人々のライトがちらちらして、その明かりは空に広がる星が山に続いているようで、それがよかった。

 

朝。日の出とともに五合目までタクシーで向かう。
タクシー乗り場で、一緒に乗ったら安くなりますねと声をかけて相乗りしたおじさんが、とつぜん「影が出てるね」と言うので窓の外に目をやる。

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日の出の光に照らされた富士山が、影になって雲に浮かんでいる。とても幻想的だった。

 

正直、ちゃんと覚えているのは、ここまでだ。
その先はもう、一歩一歩踏みしめて歩くのに必死で、あまりよく覚えていない。
ときどき振り返ると、わたしの後ろを登る姉の顔が目に入り、それをじっと見つめることで正気を保っていられた。

空気が薄くなる。高いところに登っているのだというのが分かる。
岩はごつごつしていて手を使って、大きく足を上げないと登ることができない。


途中の小屋で休憩を挟んだときに、何度か一緒のタイミングになる二人組がいた。隣に二人が座って、男性が女性に「深呼吸しながら登るんだよ」と言って、女性が「分かってるの」と答えているのを聞いて、思わず「でも呼吸って難しいですよね」と横から相槌をうった。そうしたら彼女の表情が柔らかくなって、少し会話を弾ませる。しばらくして、では先に行きますね、お互いゆっくり、休憩しながら向かいましょう。と言って別れた。
その二人組とは、以降の休憩箇所では会えなかった。

いろんな人がいるんだなと思う。
山頂に行くのを目標にする人も、
好きな分だけ登って降りてくる人も
写真を撮りに行く人も。さまざま。
わたしたちの目標は、山頂まで辿り着くことだった。

 

そうして、ようやく9合5勺の看板が見える。

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ふと見上げると雲のはやさに驚く。
風に流された雲が山の肌にあたってぶわっと広がる様子は、山が雲を生み出しているように見えて不思議な、というか、足のすくむような光景だった。

ラストスパートが大変だったけれど、頭の中をミスチルの終わりなき旅がずうっと流れていたわりには、山頂からの景色はあっけなかった。

山から見下ろしたら、世界はとても小さくて、わたしの普段の悩みとか、自分の存在なんてちっぽけだと感じるものだ、と思った。あまりそんなことを考えられるほど余裕はなかった。

前に、前に、進むだけで精一杯だった。
わたしの人生みたいだなと思った。

 

山に登って、思った。登ることよりも、下りてくることのほうが大事だ。自分の力で登ったのだから、自分の力で下りてこなければ。
意外と下りるときのほうが、足を踏みしめてゆっくり、ゆっくり下りないと、転がり落ちてしまう。気を抜いてはいけない。

それでも、ときどき振り返るとそこにはさっきまでいた山頂が見えて、体がぞわりとした。なんだか、誰かに見られているような気分になった。と同時に、この山を、今のわたしは登ってきたんだと、達成感とも違って、鼓舞でもなくて。うまくは言えないが、夢を見ていたかのような気分でいたのだと思う。

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下山のルートは、大砂走と呼ばれる七合目から新五合目駐車場までの火山灰地の道を下るというものだった。傾斜が急で、町が見えてきたあたりから、目の錯覚が起きるようになる。登っているのか、下っているのかも分からなくなる感じ。
山に登っているというより、知らない惑星を探索しているような気分になった。

 

麓に着くころにはまっくらになっていた。
富士山に、登ったんだ。わたし。
やっぱりまだ信じられなくて、何度も何度も後ろにある大きな山を振り返った。

 

富士宮の駅前にツインをとり父と泊まった。

なかなか興奮が収まらないからか、疲れているはずなのに眠りにつくまで時間がかかった。
父が言った。
「ありがとうな、一緒に登ってくれて。父さんは幸せものや」

 


朝。朝食会場でパンを食べた。
そして、2日前から我慢していたコーヒーを飲むと、これがまたおいしくて、街に下りたことをようやく実感した。ような気がする。

 

家に帰る。明日の仕事の準備をする。

やっぱりまだ、夢の中の景色にいたような気がしてしかたない。