不可視

長所と短所は紙一重なんていうのはうそだ。

 

自分の愛が、どうしようもなく幼稚で、
気づかなくていいよ・でも尽くしたいという気持ちを
隠しているようで隠したふりしてまったくそんなことはなくて すべて伝わってしまっていて、そのことが相手にとっていかに居心地のよくない空間なのか、ということに気づいた。

 

そうやってこれまで生きてきて、それがわたしで、

尽くしているつもりはなく、人にたいしていつだって
誰にだってそうして接していたくて

でもそんなのは結局のところ恩着せがましさで
気持ちいいのは自分だけだったのだ。

長かったな、気づくまで。
こんなにまでかかってしまったし、
こうして傷つけてきた人は、これまでのなかで数知れないのだと思う。
友人も、恋人も、家族も。

 

それでも。
そんなことは、なかった。
そんなつもりは、毛頭なかったけれど。

 

愛のつもりでいたものはただの自己満足だった。
それはわたしの一番嫌いなものだった。

 

愛のつもりでいたものを、
返してなんてもらわなくてよかったし、よかったけど、
そもそも、愛のつもりでしかなかったものを、
返すすべなどなく
それでいいんだけど、それでよかったのに、
そのことが、いつだってきっと、

相手を苦しめてきたんだろう。

 

それでもわたしは、愛されているつもりでいたし、
返してもらっている気になっていた。

それでよかった。それだけでよかった。
それだけがよかったのだ。


わたしの愛は、いつだって行き場をなくしてばかり。
そう思っていたけれど、

最初からどこにもなかった。

最初からもちあわせてなどいなかった。

それだけのこと。

それだけの話。


ごめんね。こんな接し方しかできないわたしを、愛そうとしてくれた。愛そうとしてくれていたと受けとっているのが正しいのかもわからない。笑ってしまうくらい、わたしは誰のことも自分のことももうわからないです。

 

もうこんなのは最後でいいや。

 

 

 

9合5勺の先の話

富士山へ登った。
はじまりは去年の夏で、お盆に家族で集まった際にひょんなことからそんな話になり、もともと登山経験のある父と姉がわたしを誘ってくれたのだが、登山はまったくの未経験であるわたしは「富士山なんて見るものであって登るもんなんか?」という気持ちと「生きてるうちに一度はしたいことリストの中に入れてもいいかもな」という気持ちとがあって、しばらくの間悩んでいた。どうせ無理だなって思っていたし、そのときはきっと登らないつもりでいたのだと思う。

それで、あれよあれよと月日がたって、登頂予定日の1カ月前になる。ここまでいったい何をしてたんだ、って自分でも思うし、ほんとに登る気が毛頭なかったんだなとも思うが、ある日の夜に姉から「どうする?」と連絡があって考え直した。

 

わたし、たぶんここで誰かと登らないと、富士山なんて一生挑戦しないだろうな。生きてるうちに登れたら、なんて言いながら、生きてるうちに登れたらなんて思ってたな~なんて言いながら死ぬかもな、まあ別にいいか、もともとそんな強い気持ちなかったし。と、思いながら、仕事帰りアウトドア用品店に立ち寄り、登山靴をためしに履いてみた。


店員さんに促され、そろりと歩き出す。

 

軽かった、思っていたよりも。
もっと重々しく歩を進めるのだと思っていた。

それで、だった。登ろうと決めたのは。
この一歩がもっと重かったら、買わなかったかもしれない。その夜、登山靴を買ったよと父と姉に連絡すると、姉は喜んでいたし、父はもっと喜んでいた。

 

父との関係はわたしの人生の課題だった。
詳しいことは省くが、今でこそ仲のいい家族のように見える(し、たぶんそれで合っている)が、何年か前はうちの家にはつねに重々しい空気が漂っていた。家にいるのが嫌だったから、学校から帰ったらすぐに塾に行き、遅くまで残って勉強した。休日や塾のない日は図書館に行ったり、地域の自習室に通いつめた。
自分のことはあまり話さなかった。それは今でも変わらない。ただ、何を言っても否定されることが多かった家の中では、口を開かない方が賢明だった。

 

あなたがいなければ、と言われたことがある。

そんなこと、彼らは覚えてなどいないことは分かっている。本心でなかったことも、あの時期の家の雰囲気の悪さも、よく分かっていた。それでも、言われたことはずっとわたしの中に残り続け、たまに目を覚ましてわたしに呼びかける。わたしがいなければ、よかったのに、と。

遠い昔のことを、今さら話す気はない。その時期のことについて、あらためて何かを感じたり、嘆いたりはしない。

ただ、願掛けのようなものだった。

一緒に山を登れば、何か変わるかも。
家族とわたし、というか父とわたしを取り巻くぐにゃりとしたものが、何かいい方向になるんじゃないかと思った。

わたしの家族は、わたしたちのことが好きだ。
それはよく分かっている。だから、なんかこう、その愛を、ちゃんと受け入れられるようになりたかった。し、わたしなりの恩返しのようなものだった。
娘二人と登山、しかも富士山に登れたら、そんな、人生で素敵なことないよなと、わたしの父が思うなんてこと分かっていた。


移動は父と二人だった。
富士山のふもとの駐車場で仮眠をとるために向かう。コンビニで買ったビールで乾杯をする。

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まだ陽が明るくて、ふと顔をあげるとさっきまでは雲で隠れていた大きな山が姿を現してびっくりした。富士山だった。
こんなところにあったのか。
明日はこれに登ろうとしているなんて、正直未だに信じられない。
長野に住む姉は旦那さんの運転で移動して、夜中のうちに合流した。


夜の富士山の稜線には小屋の明かりや、ご来光を求めて登る人々のライトがちらちらして、その明かりは空に広がる星が山に続いているようで、それがよかった。

 

朝。日の出とともに五合目までタクシーで向かう。
タクシー乗り場で、一緒に乗ったら安くなりますねと声をかけて相乗りしたおじさんが、とつぜん「影が出てるね」と言うので窓の外に目をやる。

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日の出の光に照らされた富士山が、影になって雲に浮かんでいる。とても幻想的だった。

 

正直、ちゃんと覚えているのは、ここまでだ。
その先はもう、一歩一歩踏みしめて歩くのに必死で、あまりよく覚えていない。
ときどき振り返ると、わたしの後ろを登る姉の顔が目に入り、それをじっと見つめることで正気を保っていられた。

空気が薄くなる。高いところに登っているのだというのが分かる。
岩はごつごつしていて手を使って、大きく足を上げないと登ることができない。


途中の小屋で休憩を挟んだときに、何度か一緒のタイミングになる二人組がいた。隣に二人が座って、男性が女性に「深呼吸しながら登るんだよ」と言って、女性が「分かってるの」と答えているのを聞いて、思わず「でも呼吸って難しいですよね」と横から相槌をうった。そうしたら彼女の表情が柔らかくなって、少し会話を弾ませる。しばらくして、では先に行きますね、お互いゆっくり、休憩しながら向かいましょう。と言って別れた。
その二人組とは、以降の休憩箇所では会えなかった。

いろんな人がいるんだなと思う。
山頂に行くのを目標にする人も、
好きな分だけ登って降りてくる人も
写真を撮りに行く人も。さまざま。
わたしたちの目標は、山頂まで辿り着くことだった。

 

そうして、ようやく9合5勺の看板が見える。

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ふと見上げると雲のはやさに驚く。
風に流された雲が山の肌にあたってぶわっと広がる様子は、山が雲を生み出しているように見えて不思議な、というか、足のすくむような光景だった。

ラストスパートが大変だったけれど、頭の中をミスチルの終わりなき旅がずうっと流れていたわりには、山頂からの景色はあっけなかった。

山から見下ろしたら、世界はとても小さくて、わたしの普段の悩みとか、自分の存在なんてちっぽけだと感じるものだ、と思った。あまりそんなことを考えられるほど余裕はなかった。

前に、前に、進むだけで精一杯だった。
わたしの人生みたいだなと思った。

 

山に登って、思った。登ることよりも、下りてくることのほうが大事だ。自分の力で登ったのだから、自分の力で下りてこなければ。
意外と下りるときのほうが、足を踏みしめてゆっくり、ゆっくり下りないと、転がり落ちてしまう。気を抜いてはいけない。

それでも、ときどき振り返るとそこにはさっきまでいた山頂が見えて、体がぞわりとした。なんだか、誰かに見られているような気分になった。と同時に、この山を、今のわたしは登ってきたんだと、達成感とも違って、鼓舞でもなくて。うまくは言えないが、夢を見ていたかのような気分でいたのだと思う。

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下山のルートは、大砂走と呼ばれる七合目から新五合目駐車場までの火山灰地の道を下るというものだった。傾斜が急で、町が見えてきたあたりから、目の錯覚が起きるようになる。登っているのか、下っているのかも分からなくなる感じ。
山に登っているというより、知らない惑星を探索しているような気分になった。

 

麓に着くころにはまっくらになっていた。
富士山に、登ったんだ。わたし。
やっぱりまだ信じられなくて、何度も何度も後ろにある大きな山を振り返った。

 

富士宮の駅前にツインをとり父と泊まった。

なかなか興奮が収まらないからか、疲れているはずなのに眠りにつくまで時間がかかった。
父が言った。
「ありがとうな、一緒に登ってくれて。父さんは幸せものや」

 


朝。朝食会場でパンを食べた。
そして、2日前から我慢していたコーヒーを飲むと、これがまたおいしくて、街に下りたことをようやく実感した。ような気がする。

 

家に帰る。明日の仕事の準備をする。

やっぱりまだ、夢の中の景色にいたような気がしてしかたない。

 

たゆたうというイベントの話

今年、アラバキロックフェスに行った。

(タイトル詐欺じゃないです)

2019年に行った後、世界はコロナ禍に突入。ほぼすべてのイベントは中止にならざるをえない状況に。4年ぶりに行ったアラバキは懐かしくて本当に楽しみで、交通トラブルに巻き込まれたものの「やっぱり好きだ」と思えるイベントだった。なんであれ、一度目はもちろんだが二度目ってすごく重要で、わたしはまたこのみちのくに来るんやろうなって思える2日間だった。

今年のアラバキで、the LOW-ATUSのふたりが「アラバキは、大変だよね。もともと夏フェスがたくさんある中から逃げてきて、5月のまだ涼しい時期にすることにしたのにさ、結局この時期にもフェスの数増えちゃってね、、」みたいな、おおよそそういうようなことを笑いながら言っていたのを思い出す。それでもわたしにとって、春を過ぎてまだ夏にもならないこの時期に思い出すイベントと言えば、やはりアラバキなんだと思う。


お気に入りのイベントとか空間っていうのが、わたしたちのような人間にはいくつかあって、〝もうすぐ○○の時期だね〟とか〝チケットもう買った?〟とか、友人との会話の中でよく飛び交うことがある。音楽だけじゃない。映画とか、フリマとか、アートとか、ごはんとか。いいものが集まる場所はいい空間になって、価値が生まれる。


オンライン配信のあるイベントが増えた(増えざるをえなかった)昨今、その場に集まることの重要さや貴重さを実感する。遠くにいてもそこにいるようにイベントを楽しむことができるようになって、ありがたいことに、離れていても、わたしたちはうちで踊ることができた。それがいいと思っていたし、そういうふうに、メディアやコンテンツを準備する側も立ち回りをしていかなくちゃいけないと、いち業者のはしくれであるわたし自身も、3年前は思っていた。


でもきっと、大事なことは、元に戻ることなんだと思う、と、なんとなく気づいている。わたしたちは戻らなくちゃいけないと思うし、戻れる場所を準備するのが、カルチャーを守っていく我々の役割でもある。フジロックの配信が今年はないということに対していろんな声が上がったが、個人的にはそれで〝よかった〟と思った。


〝ここにしかない景色〟

というものを、求めている人がいる。

 

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去年の10月。たゆたうというイベントに足を運んだ。

東京の奥多摩という場所で、廃校になった校舎で行われた。会場になったOKUTAMA+は「泊まれる・働ける・遊べる学校」とうたわれており、五感で満喫できる一日一組限定の貸切施設だ。サウナとかも体験できるし、BBQもできるし、撮影とかにも使える。これを聞いただけで、めちゃくちゃいい空間みが溢れているし、やっぱ、吉野とか、なんやろう、長野の山とか、そういう場所じゃないと体験できないのかなと思いがちだったが、意外と東京の外れにもあるんだなというのが最初の驚きだった。

 

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では、〝OKUTAMA+〟ではなく、

〝たゆたう(in OKUTAMA+)〟にしかない景色というのはなんだろうなって考える。


わたしは映画が好きで、2年に一度東北で開催される映画祭によく足を運んでいた。そこで、けっこう知り合いと顔を合わせたりとかして、映画が終わった後に周りを見れば「え!○○さんも来てたんですね!」みたいなことがままある。それからまた別れて違う映画を観にいったかと思えば、夜に交流場みたいなところでお酒をいただいていたらまた会う、みたいな。そういうのがめちゃくちゃ好きで、やっぱり、普段生活している関西で会うのとか、東京で仕事のついでに会うのとかとは、また違っていて。この場所で会えるからこそ、この時間に、空間に、意味があって、力をもらえる。


そういうのと同じようなことを、たゆたうというイベントには感じたのだ。


わたしは、音楽が好きだ。

音楽が好きだけど、もっと好きなのは音楽を好きな人だし、音楽を好きな人が作る空間のことも最高に好きだ。


もちろんあのアーティスト出るから、とかっていうのはでかいけど、会いたい人に会える場所として、最高の空間だなって思ったし、ここだからこそ、生まれる何かがある。うまく言えているとは思えないが、そういうことなんだ。


先日のポッドキャストで谷口さんも言っていたかもしれないんだけど、音楽イベントとひとことだけでは説明できない(しない)理由のひとつが、音楽に限らず、○○さんが出店してるから行きたいっていうイベントもいいよね、みたいなことをたぶん言っていて、その言葉にめちゃくちゃうなずいた。ちなみにわたしはコーヒームテが爆裂に好きなので、去年に引き続き出店があると聞いて小躍りしながら喜んだ。アラバキで飲む一番搾りがめちゃくちゃうめえのと同じで、たゆたうで飲むムテさんのコーヒーがたまらなく好きだ。なので今年がもうすでに楽しみでいる。

 

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季節の中で秋が一番好きだ。

その理由のひとつは、この季節に好きなイベントが増えたからだな、と。

そういうようなことを、七夕の夜に考える。


今日の夜ごはんはカレー。

去年のたゆたうでカレー作りのワークショップがあって、そこの出展者のカレーを作るキットを購入したのだけれど、それを機にわたしはGABANでスパイスを買いそろえた。自分を構築するものって、小さいころにある程度は決められているよなって思うことも多いけど、大人になった今だからこそこうやっていろんなイベントに足を運ぶ中で、わたしの生活は豊かになっていくなと感じる。


今年のたゆたうは10月28日。

長々と申し訳ないが、これだけは言いたいことがあって、今年の○○は、と、言えるのってホンマにすごいことやと思ってる。イベントが2年目を迎えることって難しいことやし〝続いている〟ということに変わりはない。その場所をつくりあげていくのって、主催はもちろんのこと、アーティストと出展者とスタッフと、そして、もちろん、お客さんである我々の役割です。

 

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コロナを機にいろんなイベントが終わってしまったと思う。その度に、来年は行けたらって思ってたんだよなあと何度か思ったことがある。思ってしまった。好きなバンドがとつぜん解散したときにだって、いつかライブに行きたかったのになと思った。そして行かなかったことを、めちゃくちゃ後悔した。音楽が、カルチャーが、終わっていかないために、ひとりひとりの力は知れているかもしれないけど、わたし〝たち〟の役目は重要なんだと、信じたい。


カレーを食べていたらビールが飲みたくなって開けてしまった。


たゆたうが終わった帰りの電車のことを思い返す。

みんなも同じように電車に揺られて帰ったかな。また、みんなに会いたいなって、みんなも思っていたかな。そうだといいな。そんなみんなの帰る街のことをわたしは知らないが、同じ空間で聴いた音は、つぶになって、わたしの耳の奥でたゆたっている。

 

今でも。

 

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たゆたうクラファン終了まで、1週間。

https://www.muevo.jp/campaigns/3701

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五月の虹について

トナカイさん - 五月の虹 手が届く

 

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予定が合わせられないまま展示期間が終わりそうになってかなり落ち込んでいたところに延期と在廊のお知らせを目にして慌てて有休をとった。どしゃぶりだったけど新しい服を着て写真を撮ってもらいたかったので、雨なのにとびきりのオシャレをして出かけてしまいちょっと恥ずかしかった。

びしゃびしゃになった。けどよかった。


トナカイさんの展示にお邪魔するのはどうやら2019年ぶりらしかった。

彼の写真は、まなざしのあたたかさがにじみでており、詩は、わたしたちの持つ言葉のしなやかさを実感させる。そのことに、以前強く胸を打たれ、谷中のトタンで泣きじゃくってしまったこと、ハンカチを持っていなくて困ったこと、少し開いた窓のすきまから蜘蛛の巣が見えてそれが綺麗だと思えたことをふいに思い出し、そのときの自分がぶわっと頭に浮かんで、

ほろほろと涙がこぼれた。

今もさして変わらないが、あの頃のわたしは仕事がうまくいかず、ずいぶん弱っていて、駅のホームや歩道橋の上に立っているといつも足が震えた。

明日が来るのが怖くてしょうがなかった。


あのときは、誰もわたしに優しくなんてしてくれないと思っていた。

助けてなんかくれないと思っていた。

今思えば、そんなことは、なかったのだろうけど。


わたしは、生きていていいんだ。トタンの部屋の隅でそう思った。トナカイさんは、わたしの恩人だった。

 

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他人が愛を伝えあったりしているのを見るのが、人よりもたぶん少し苦手だ。

いやほんと、ほんの少し。

みんなの愛はわたしにはまぶしすぎて、ときおり憂鬱になる。ほんと、ほんの、少し。


それだのに、一丁前に好きな人とかできたりするし、ずっと一緒にいようねなどと口に

出したりもする。そのたびに恥ずかしくなる、というより、きっと、自信がないのだ、自分の愛に。

わたしは、わたしの愛に、ずいぶん前から自信がない。

それがばれないように、わたしはいつも必死で取り繕っている。

 


もらった愛の返し方は、たぶんずっとわからない。

本当に受けとれていたのかもわからないし、

受けとったつもりのものが愛だったのかもわからない。もう返せない人もいる。

 


愛してくれた人に、なにひとつ返すことのできないまま過ぎていく日々のことを、わたしはこの先どう思って生きていけばいいのだろうと考える。

いつかわかるといいなと思う。思っている。

愛は目に見えない。目に見えないし、とても儚いから、あったのか、まだあるのか、

さいしょからなかったのかもわからない。


わからなくていいよと言葉にできる強さに憧れた。

この人の発する〝愛〟なら、わたしの心にすとんと落ちてくる。そう思えた。


帰りの駅のホームで電車を待つ。軒先にかかった蜘蛛の巣が雨風に揺れていた。

 

綺麗だった。

イルミネーションの詩

今朝はアラームをかけていないのに早くに目がさめて、きみがいなくなるような予感でもしたのかと思ったよ。

こんな日は、あふれだしてとまらなくなる。

いちごのやつがないからって買わなかったケーキを、電車に置き忘れた手ぶくろの片ほうを、本を抱きかかえてねむった夜を、わたしは、いつまでたっても。

 

もっと もっと、あったはずで。

伝えたかったことは もっとあったはずで。

脆くとくべつな毎日を、くだらないねと笑うのはいつも通りすぎてからと。気づくのはほんとうに取り戻せなくなってはじめて。

こんな夜は、家までのたった1.2キロの道を、つよくつよく踏みしめては。おんなしきもちになったような気分になって、なんて罪深い。

 

だれもしなくなった話を、わたしだけが続けている。

だれも見なくなった世界を、わたしだけが眺めている。

夜が明けたら、みんなはきっと、そちらのほうをむいて歩き出す。朝の光に照らされて 行き場をうしなった暗がりは、心の奥にすみついて、こちらをぼんやり見つめて。

 

イルミネーションが目のはしで光る。その意味を、いつかはみんな、考えなくなるときが来るんだろうか。

灯したろうそくにこめた祈りを 思い出せなくなるときが。

 

誰にも言えなかったことのあるきみが、誰にも言えなかったことを誰にも言えないまま、ひとりきりでいませんように。

 

いのりと

ねがいと、すこしのこうかい。

 

‐ 2023.01.17

 

 

年末の詩

今日という日にむかし話を、

今日という日にむかし話をおくろう。

いつかおもいだすとき、わたしは だれかの人生の登場人物になれているだろうか。

いつかおもいだすとき、それは きっと、極彩色。

今日という日を、むかし話にしよう。

世界は、消えてしまうものばかりだから。

なりたいものに。ただしにどと戻れはしない。

それならば。

旅をしよう。

わたしの心臓は、これから先、どこへでも行ける。

過去と未来を、行き来しよう。

子どもになったり、老婆になったり、姉になったり、弟になったり、あるいは、あなたになったりしよう。

弔いの死者をだきしめる風習

あの人のついたうその真相

流行病の正体

からすの姿で生まれたのはどうしようもない世界

だれも自分の使命などわからない

それでもだれかと一緒に生きている。

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自分のなかにひとつ、神話を持とう。

迷ったときに帰ってこれる場所。

悲しみに暮れてしまうときに信じられる物語を。

まっくらやみのなか、光を灯すとあらわれる幾つもの世界に、希望があることを知っている。

これはむかしむかしの今日の話。

今日はおやすみ

今日はおねむり

目をとじて 耳をすませて

やがてふくろうが夜を連れさってゆくだろう。

むかし話

あるいは今日の話

どうか抱きしめておくれ

ボクたちはみんな大人になれなかった

用事があって東京に深夜バスでやってきた朝に観た。原作の小説が販売されるとともにティザーが公開され「昔好きだった人をSNSで見つけてしまったことはありますか?」の文字に身震いしたのを思い出す。

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映画を通して話は過去に行ったり来たりを繰り返す。その描写は、生きていく中で昔のことを思い出す瞬間は様々で、思い出も端々であることを思い起こさせる。くるくる巻き戻されるテープのように過去を思い出しても、再生はできてもやり直しはできない。
わたしはオザケンは別に好きではないし、ごりごりの古着も着たことはないし、テロップを手で作っていた時代のことも知らない。それなのに怖いくらい共感性の高い映画で観終わったあとはドッと疲れが押し寄せた。

森山くんも沙莉ちゃんも大好きだけど、恋人たちに出ていた篠原さんが出てきて、それがめちゃくちゃうれしくてなんだか泣けた。東出くんが出ているのもよかった。
みんなそれぞれ、東京で、がんばって、演じるという仕事をしているんだよね。すごいなあ。

キリンジは好きだけど、やっぱりヒグチアイの東京にてがしっくり来る。あの子ともあの子ともあの子ともくぐった赤い提灯の下、神さま仏さま僕はちゃんと今この人を愛しています。これがすべてだなと思う。
花束みたいな恋をしたを観たとき、恋人にこんなふうに思い出すような人がいるんだとしたらちょっと嫌だなと思ったけど、この映画は、愛している人に、かつて愛した人がいたとしても、そのことを笑って話せたのなら、きっといいなと思える作品だった。
誰かに言われた言葉は心を突き刺さしたり優しくなでたりする。「キミはだいじょうぶだよ、おもしろいもん」それは縋ることのできる言葉でありながら、呪いのように消えないものでもある。

ボクたちはみんなだれよりも早く大人になりたがっていたのに、ボクたちはみんななりたい大人にはなれなかったし、ボクたちはみんな大人になんかなりたくなかった。そしていつまでたっても、ボクたちはみんな、大人にはなれずにいる。否、大人になってしまったのか。

ボクたちはみんな大人に_

このあとに続く言葉を考えるのが、大人を卒業するまでの人生の宿題。