蜜蜂と遠雷で明石が言っていた、生活者としての音楽を奏でたい。
パターソンがこの先どうなるかは分からないし、彼が明石ほどの想いを創作に持ち合わせているかというと正直分かりかねるが、パターソンの詩は、きっと、生活者としてのそれなんだろうと思う。
パターソンの世界にも、詩をつむぐ生活者が存在する。
ラッパーに「いい詩だ」と声をかけたのも、彼らしくて微笑ましかった。
詩人なの?と聞かれ「ええ」と答えられる少女。
あなたは詩人ですか?と聞かれ「違う」と答えるパターソン。
この人の消極さにめちゃくちゃ共感してしまう。
いつもと同じような毎日を繰り返すパターソンだけど、彼の詩は散文的で規則性があるわけではなく、そこに彼自身の秘めたるものの気配を感じる。
肝心なことを話さない人の演技が合うよねアダム・ドライバー。
ノートをやぶられて、滝を見つめる言葉のない時間がわりと好きだった。
心が健康でない時に見るもんではなかったかもしれない。救われるかなと思ったけど、ちょっと、今のわたしには愛がまぶしすぎて、、、なんだか疲れてしまった。
同じ日々の繰り返しはない。毎日が新しい一日。
言葉はただの記号。日々の積み重ねの中で消えてゆく。埋もれてゆく。
それでも紡ぐこと。残すこと。後ろを振り返れば何かが変わって見えるかも。
変わらない日々の中で、変わってゆくものたちを、つなぎとめていけるよう。
女の子の詩が好きだった。
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水が落ちる
明るい宙から 長い髪のように
少女の髪にかかりながら
水が落ちる
アスファルトの水たまりは
汚れた鏡 雲やビルディングを映す
水は私の家にも
私の母にも私の髪にも落ちる
人はそれを雨と呼ぶ