蜜蜂と遠雷

言葉以外の何かで語り合うことのできる人々のことが、ずっとずっとうらやましかった。世界はすべて、音楽でできているのだと、そのことの本当の意味を、全身で理解することのできる人になりたかった。

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雨は、心みたいだ。ときには激しく、ときには優しく、悲しく、切なく、わたしたちの心を代弁する。そして雨は、ときどき神様のように。地面を潤したかと思えば、風とともに吹きすさび、音を立てる。馬は、神様だったのか。雨とともにやってくる馬。雨の正体は、彼の駆ける足が地面を鳴らす音のように感じてならない。

原作未読。のだめ育ちのわたしには刺激の強すぎる映画。
オケが、敵とまでは言わないが決して味方ではなくて見ていてヒリヒリする。誤差なんて言われちゃたまったもんじゃないだろうに、ピアノ界っていうのはこういうのがあるあるなんだろうか…?と思えば本番ではピアノを邪魔していたフルートが合わせてくれて、なんやねん!となる。そこの過程がよくわからなくて、音楽に知識があればまだ理解できたのかなとも思った。オクターブのパッセージの超絶技巧……?!?!、とか思ってたし、曲の構成や背景が分かっていればよかったな。でも最終審査のシーンの塵くんには、彼のこの「ステージはオレがあたためといたぜ!」みたいなやつを、我々は夏フェス以外でも目にすることがあるのか!と、感動してしまった。
そうは言ってもとにかく画がいい。長い長いミュージックビデオでも観てるのかと思った。シネマ比率もぴったり、鏡の使い方とかも嫌味がなくてめっちゃ好き。

原作ではどうなのか知らないけど、まーくんとあーちゃん、ではないんだなっていうのが印象的。かといって塵くんとあーちゃん、というわけでもないようにも思うけど、月夜のシーンは死ぬほど好き……。音で会話ってほんとうにできるんだなって思ったし、わたしにはあのシーンが愛の逢瀬に見えて仕方ない。世界がすべて音楽でできているというのを分かりあうふたりだからこそ生み出される空間。そして塵くんの無音鍵盤は、亜夜の馬の足音のように音を立てる。無音鍵盤は音階を鳴らさないが、塵くんの頭の中には音が鳴り響いているのだ。

すごくよかったし、画がいいから曲が分からなくてもいくらでも観ていられるんだけど、こう、狙いなのか分からんけどやっぱりどこか薄っぺらくて、セリフとかめちゃくちゃ好きやったけど登場人物の人間性がわたしの中に流れ込んでこなくて残念。
マサルのランニングシーンには彼の几帳面さや規則正しさを感じたし、明石の生活には彼の根底にあるものそこに息吹く命を感じた。画面から感じられるそうした人物像がめちゃくちゃよかったぶん、途中途中に挟まるテレビの映像で心なしか白けてしまったのが否めない。あれは必要だったのかな、、塵くんのインタビューのくだりとかも特に、あの絵面で聞きたくなかったなって思ってしまった。
それぞれの物語をもっと広げることはできたんだろうけど、しなかったのは、とにかく音楽で魅せたかったという強い意志の現れのようにも思う。とにかく感じてくれ!っていう。(だからこそインタビューシーンがしっくりこなかった…)

それでも、「スタッフ、キャスト、楽曲、そして一音にまで妥協無く、その全てが、映像化不可能と言われた原作に挑み、勝つために集められた」と、公式にはそう書かれてあり、よほど難しい題材だったのだなと思う。

松岡茉優の泣き顔は、やっぱり何かたまらなくなるものがあって、わたしの心をかきみだす。
自分の人生、なんのために生きているのか分からなくなるときが何度もおとずれるその瞬間。追いかけてきたものの正体は、掴めそうで、届きそうで、すきまからこぼれおちてゆく。何かに導かれてきたのか。導かれていたつもりになっていたのか。
導いてくれた人がいない今、何を頼りにしてゆけばいいのだろう。
大切な人のために奏でていたわたしの音楽はもう、行き場をなくしてしまった。
それでも、それでも。そんな亜夜の脆さと強さを、ひしひしと感じる。
亜夜はまだ、音楽の神様に愛されていたということなのだね。

「世界はすべて、音楽でできている」
「世界はね、いつでも音楽であふれているんだよ」
「世界が、鳴ってる」雨が、風が、雷が鳴る。木々が揺れる。鳥が鳴く。
じゃあ、音楽とは、いったいなんのためにあるんだろうと思う。
こんなにも、世界にはあふれているのに。

そのたったひとつの答えを、ずっとずっと探していく旅に出たいと思う。
そうしていつかわたしも、世界を鳴らしてみたい。