スターフィッシュ

大好きな人が死んでしまったら、ぼくの世界も滅亡してしまうだろうか。へこんだ枕も、排水溝につまった髪の毛も、買い置きされたカップ麺も。あなたがいた証はそこかしこに残っているのに、あなただけがどこにも見当たらない。
人間が滅べばいいと思ってしまったこと、世界の消失を願ってしまったことを、ぼくは一生後悔してしまうのだと思う。

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みんなメタ認知してる?

よくわからん映画観たくて観た。
エヴァってたな〜、、、
エヴァってたくないですか?
ちょっとコングレス未来学会議思い出す。インセプションも。手塚プロが関わっていたり、抹茶とか日本のラーメンが出てくるあたり作者は日本に対しても何か思い入れがあるのかな。デカクリーチャーはアイアムアヒーローもののけ姫を思い出したし。いろんな作品に影響を受けている感じだらけなのでオリジナリティを見つけ出すのが難しい映画。学生自主映画のコンペ応募作品みたいな。映画館で観られてよかった。そうじゃなきゃ入り込めなかったかも。
以前新宿に足を運んで見た、原田裕規さんというアーティストのレンダリングポルノを感じた。
https://www.haradayuki.com/works/waiting-for/
ここではないどこか、をきっとぼくらはいつだって求めている。

解釈は観客に任せますタイプの映画は好きだけど、言語化するのにすごく体力を使うから疲れる。疲れるのは嫌いじゃない。なぜならぼくは陶酔したレビュアーなので。映画としてのスタンダードをしっかりやって評価される映画ももちろんすごいけど、自己表現を最大にぶつけている映画も尊敬する。
自殺をほのめかす描写があることすら優しさに思えてくる。あのシーンがあることで補完できたことはけっこう多いんじゃないかな。
自殺を図ったのはぼくはオーブリーだと思う。グレイスがそうならロープがあの状態で残っているのは違和感があるし。そうならばあの世界がオーブリーの心象風景っていうのに至るわけで、彼女はあの世とこの世のはざまに取り残されていたのでは、と考える。

ほかの映画のレビューでも何度か書き続けてきたことのひとつだが、人のたましいはめぐるものだとおもっていて、そのためにはたましいの浄化は不可欠。ぼくたちは生まれながらにして罪人であり、だからぼくたちはずっと許されるために生きているのだと。

そう思うと、オーブリーのラストはあの世へ行くための儀式のようで、死ぬ前には誰もが赦されて罪の意識からも解放される世界を通るのかもしれないのかと思わせる。何かに許されるためにはここまでのことをしなければならないのかもしれない。
そしてそれがハッピーエンドだったのか、バッドエンドだったのか、ぼくには到底わからない。

なんとなくマイナス宇宙のことを考える。
そう思うとあの映画は、病気をかかえたゲンドウが死ぬ間際に息子シンジとの仲違いを解消するためにくり広げていた脳内戦もしくは、確執を取り除くことができずに息子を失ってしまったゲンドウが、互いの無念を晴らすために自分を含めた息子の人生をやり直してやっている世界だったのかもしれないみたいに思う。

グレイスの死について多くは語られない。
人によっては共感性の高い映画だと思う。実話に基づいた…というクレジットは正直蛇足に感じてしまったのだが、作者の立場の可能性を広く見るといろんな考えができる。喪失を経験したことのあるぼくたちは作者になったような気持ちになる。作者はオーブリーの立場であったかもしれないが、オーブリーのような人を失った人であったのかもしれない。
罪悪感から自分を責め続け、ついには命を落としてしまった誰か。のことを想う誰か。つくづく人と人はつながっていて、どんなにがんばっても一匹狼になることは簡単ではないんだよなと思う。

死はいつだってぼくたちのすぐそばにまとわりついている。
人は死ぬ生き物。
けど物語は残ってほしい。
誰かの物語が残り続けるには、その人の世界は忘れられてはならないと思う。だからこそ、許して、忘れようと至ることに上手に納得できない。許すことはすごく難しいし痛みを伴う。けれど、その過程を過ぎてしまえば楽だ。
それこそが、許されたくなかったぼくたちが受ける、最大の罰でもあるのかもしれない。

かもしれないばかりを書き連ねてしまった。
こんなにも多くのグレーの答え合わせを、ぼくは、きみのいない世界でこれからも続けながら生きていけるかな。

ぼくの世界は、ぼくにしか救えない。

音楽がめっっっっっっっっちゃ好み。